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2012/10/08

1週間

毎日こつこつ続けてきたこのブログ。このまま続けていくには少し気が重く、でもその理由をここに書くのをどうしようか迷いました。けれど、公開しているとはいえ私の日記なので書くことにしました。

20121008もり

2012年10月1日 13時30分。父が65歳で亡くなりました。原因は血管性リンパ腫でした。

ずっとブログを見てくださっている方は「あれ?今年の夏に富良野へ?」と思われたかもしれません。4月に富山へ帰省した時には七尾へドライブにも行きました。ずっと元気だったんです。ただ、今年に入ってからやたら風邪をひくようになり、少し痩せてきて母が心配していました。病院に行けという母の言葉をきかず、仕事仕事でささっと病院へ行くだけでした。

それがお盆に入り、ずっと高熱が続いてさすがに父も参ったのでしょう。弟に「悪いが病院へ連れていってくれ」と救急に行き、その後の血液検査で肝臓のALPという値が異常な数値を示していたため8月22日に検査入院となりました。

20121008きみき
熱と肝臓の異常な数値以外は元気そのもの。病院の食事が足りないほどで、そして肝臓の数値が悪いのにだるくないとのこと。主治医も不思議に思うほどの入院生活でした。生検、骨髄まで調べても異常なし。9月8日の夜には私の携帯に「今テレビ見ていたら北海道が紹介された」と電話をしてきたくらい、元気でした。

何を検査しても一向に原因が分からないまま1か月。9月24日の血液検査で黄疸が初めて確認されました。ちょうどその頃、貧血も出てきて主治医は「リンパかもしれない」と26日にすぐ2度目の骨髄検査。顕微鏡をのぞくとすぐに悪性の細胞が確認され、28日に私にも「父さんが悪性リンパ腫だった」と報告がありました。告知は両親揃って行われ、主治医からも「リンパ腫は抗がん剤治療で治る病気です。がんばりましょう」と言われ、父も「病名が分かって安心した。先生の執念です。」と感謝をし、治療に向けて動き出しました。

20121008庭
私も「父ががんだ」と告げられてショックだったのですが、「父ががんに負けるはずがない」と気持ちを強く持った翌日29日。母から「容態が急変。非常に危ない」と連絡がきました。毎年ガーデンが終わってから帰省するので、今年は10月23日に帰るよ~と伝えてあり、父も「その頃には退院しているよ」と笑っていたほど。それが主治医から「娘さんが23日では間に合わない」と言われて30日に夫とともに帰省をしました。

一般的には「非常に危ない」と言われている時点で覚悟を決めなくてはいけないのかもしれません。けれど、私も夫も「父さんは絶対に負けない」と思っていたので、黒い服も持たずに富山へ帰ったのでした。30日は空港から病院へ直行。久しぶりに対面した父は黄疸と衰弱が想像以上にひどく、けれど目力はものすごく強かったのです。「帰ったよ~」と言うと、「台風は大丈夫だったか?」と会話もできたほど。ただ、抗がん剤治療のために体力を温存しておかなくてはいけなかったので、早々に実家へ。

1日の朝。病院から電話があり、非常に危ないとのこと。すぐに母と夫の3人でかけつけ、父を安心させてあとはこの日のお昼から始まる透析を待つばかり。体力が落ちていましたが、がん細胞の勢いが常識では考えられない速度だったこともあり、透析をして血液を一旦きれいにしてからすぐに治療を開始する予定だったのです。10時半すぎから父が少し「ちょっとひどいのぅ」と言いだし、どこか痛いのか訊いてもどこも痛くはないとのこと。ただ、「体がひどい」とだけ。その頃は病室には母だけ。娘の私でもやっぱりどこか気遣う父なので、近くにいることを伝えて夫と待合室で早く透析が始まるのを待つのみでした。

12時58分に母から「すぐ来て!」と電話があり、かけつけると主治医や看護師さんたちが色々な機械を運び
入れて蘇生のためにがんばってくださっているところでした。父はその後戻ることなく、あっさりと逝ってしまったのでした。

「ひどいのぅ」の時間はあったけれど、特別苦しむことも、意識が混濁することもなく、私が知る父らしく去っていきました。せっかちで、人の言うことはきかず、それでいて粘り強い。最後の最後まで「生きるぞ」という力を目にたたえたまま。自宅に戻ってきた父はそれはそれは眠っているかのよう。いつも食事の後にテレビを観ながらうとうとする父そのものでした。母の要望で、北海道旅行に行った時の服装で旅立っていきました。

遠く離れて住んでいると親の死に目に会えないかもしれない、という不安がずっとあります。今回は夫の判断で私は後悔せずにすみました。夏には北海道で沢山思い出も作れましたし、不思議と気持ちは落ち着いています。今日からガーデンに復帰しましたが、素晴らしいメンバーに恵まれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

1週間たった今。父は何をしているのかな、と考えながら草取りをしていました。迷信めいた話になるかもしれませんが、「生まれ変わる」というのは新しい命になって生まれてくるだけではなく、波長があった命にさっと宿るものだそうです。

そして母からは夫婦の絆を教えてもらった気がします。とても悲しい出来事だけれども、今私の家族は前向きに進んでます。父の死を無駄にしないためにも。

*fecebookで風のガーデン公開中*

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家族のこと | Comments(20) | Trackback(0)
Comment
No title
ご愁傷様です。さぞかしおつらいことでしょう。

ウチのカミサンもこの夏父親を亡くし、しばらく沈んでいました。
幾つになっても別れはつらいものですね。
No title
お父様がお亡くなりになられたのですね。
心から哀悼の意を表します。
余計なことかもしれませんが私の体験から一言。
今はまだ気が張っているから体調は悪くないと思いますが、しばらく経って気が緩むと体調を崩しやすいので、お母様も015さんもご自愛くださいね。
ガーデンがクロ-ズして整理が終わった後なんかは特に。
No title
 お悔やみを申し上げます。最後まで頑張られたお父様に拍手をお贈りしたいです。
 私の母も3月に亡くなりましたが、3年前に北海道を2人でまわり、今年まるでその後をなぞるかのようなコースで、思い出がよみがえってきました。風のガーデンもその一つです。今はぽっかりと穴が空いてしまっている状態だと思いますが、その穴はお父様との思い出で埋められていくのではないでしょうか。くれぐれもご自身のお体をご自愛ください。   合掌
No title
ご愁傷様です。

私は母を亡くしてもうすぐ七回忌です。
亡くしてしばらくは何も手に付かない状態でしたが、色々とすることがあって、それが落ち込まない救いになりました。

生まれ変わりで私が聞いた話では、また家族の身近に生まれ変わるそうです。
現世でも来世でも縁がある人は自分の回りに現れるそうです。

常夜のお父様もまた逢うために準備されていることと思います。
No title
大変な一週間でしたね…
私も8年前に父を亡くした時のことを思い出しました。
時々フッとこみあげてくる時があるかもしれません。
まわりには素敵なご主人、職場の皆さんがいらっしゃるので心強いとは思いますが、無理をしないで過ごしていただきたいなぁと本当に思います。
No title
心よりお悔やみ申し上げます。
ほんとうに大変でしたね。
そばに付いていらして、お父様もどんなにご安心でいらしたことでしょう。
No title
ご愁傷様です。
心から哀悼の意を表します。

昨年の夏、主人と二人でガーデンにお邪魔させていただきました。覚えていらっしゃいますでしょうか・・・

私も両親を亡くし何年か経ちますが時間が日々の笑顔を戻してくれました。
今はまだおつらいでしょうが頑張ってくださいね。
そしてどうぞご自身のお身体をご自愛ください。
ありがとうございます
奥様もお父様を亡くされたばかりなのですね。私よりも先に夫の方が父を亡くしたのですが、今ようやくその気持ちに気づいてあげられた気がします。
ありがとうございます
はるさんから頂いたおやつで元気に仕事しています。御馳走様でした。
そして私だけでなく、母のこともお気遣いくださり、ありがとうございます。母も今は色々な手続きのこと、会社のこと、とても忙しくしています。またガーデンが終わったら帰省するので、色々手伝ってこようと思います。
ありがとうございます
本当に最期の最期まで力強い目でした。父は病気に負けなかった、と心から思えます。父のように強い人になれるよう、がんばります。
ジャビットさんとお母様の思い出の中に風のガーデンが入っていること、とても嬉しく思います。
ありがとうございます
和平さんがしてくれた生まれ変わりの話、私も小さい頃に聞いたことがあります。来年の1月に2人目の甥っ子が生まれる予定なんです。もしかしたら…?でも父だとしたら、ややこしい子になりそうです(笑)。
ありがとうございます
とこちゃんさんはお若い時にお父様を亡くされたのですね。私も今こうやって同じ立場になったのですが、年をとるということの意味をしみじみと噛みしめています。
泣きたい時には泣こう、と決めているので今はけっこう大丈夫です。ありがとうございます。
ありがとうございます
病室には母と父の二人きりでしたが、すぐそばにいられて最期をみとることができたので後悔はありません。父もきっと私が取り乱すのではと心配したと思うので、色々準備していったんだろうなぁと思います。
ありがとうございます
こうやってブログを書くことによって心が軽くなっているような気がします。みなさんとはブログ上では文章での繋がりですが、なんだかお喋りしているような感覚です。本当にありがとうございます。
No title
ブログを読ませて頂き、びっくりしました。あんな元気な、お姿で、ブログに、登場なさつてた、素敵なお父様がー! とても、しんじられません。心より
ご冥福を、お祈りもうしあげます。
私も、20年ほど前に、父を、5年まえに、母を、なくしました。でも、心の中には、いつも、笑顔の、二人が、います。心のなかで、生き続けてもらつてます。
おいらさん、元気を出して下さいね。悲しいけど、みんなが,乗り越えて行かなければならない道ですよね。
No title
遅くなり大変失礼いたしました。
65歳、まだお若いのに・・・ご愁傷様です。

私の父も症例の少ない白血病で、1年半の闘病の末亡くなりました。
同じく抗がん剤投与の治療でした。あれもあまり長い間やると弱ってきますからね。
最後にお会いできたのはよかったですね。安心して眠れたのではないでしょうか。
苦しい姿も見受けられなかったというだけでも救いなのかもしれません。

あとはお母さんのケアですね。ご兄弟で力を合わせて頑張ってください。
ありがとうございます
そうなんです。富良野のみんなも「え!?」ってなってます。一番驚いているのは父本人でしょうけれど。
ひしむらさん、ありがとうございます。そうですよね、みんなが乗り越えて行かねばならない道なんですよね。早いか遅いかなんて関係ない、いつかは必ず…ですものね。
ありがとうございます
とんでもない、ご丁寧にありがとうございます。
主治医や看護師さんに不信感は全くありませんが、一体何がどうなったのだ?と思って調べてみると、父も非常に稀なリンパ腫だったようです。ほとんどが死亡してから解剖で分かるとのこと。生きているうちに分かっただけでも父にとっては良かったのかもしれません。
東京にいる弟は家に帰ってからの対面となりましたが、2人は強い絆と信頼で結ばれていたのと、やっぱり男同士ですから私とは違う思いがあるようです。
今はとにかく母のことを支えていきます。うださんやりかおさんの経験は私にとってすごく支えになっています。ありがとうございます。落ち着いたら顔を出しにいきます。
お父さんが亡くなられていたとのこと、今読んで知りました。
急だったけど、最期は遠くにいる愛娘もそばに来てくれて
お父様は家族みんなに見守られ、安らかに旅立っていかれたと思います。
お父様はこれからもずっと、今度は天国から家族を見守ってくださるでしょう。

うちも実母が亡くなって丸10年です。あっという間でした。
生きていれば62歳。孫の顔も見せられませんでしたが
今は天国から私と娘、そしてもうすぐ生まれるもう一人の子を守ってくれてると信じてます。
ありがとうございます
あまりにも突然で、ショックというよりも夢のよう。特に富良野にいると普段からいないのが当たり前なので、これから帰省するたびに実感していくのかな。アイちんもお母様を亡くされていたこと、今回のことで思い出しました。もう10年もたつのですね。生きていれば62歳ということは、私の母と同じです。
実家の弟のところも来年第2子出産予定。顔を見ることなく逝ってしまいましたが、アイちんのお母様同様、守ってくれていると思います。弟は「父さんの生まれ変わりだ」と信じているようです(男の子なの)。お互い(って私が出産じゃないけれど)元気な子供でありますように。

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